不変と変革 パート2 貫く企業理念(93) 日刊工業新聞 2015年1月22日掲載|碌々産業株式会社|高精度高速小径微細加工機、特殊加工機、プリント基板加工機の製造・開発

 

会社情報

碌々産業株式会社

<本社>
〒108-0074
東京都港区高輪4-23-5
碌々ビル
TEL 03-3447-3421(代)

<静岡工場>
〒421-0216
静岡県焼津市
相川2575
TEL 054-622-1151(代)


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不変と変革 パート2 貫く企業理念(93) 碌々産業 日刊工業新聞 2015年1月22日掲載


微細加工、さらに上へ


工業機械史

  1903年創業の碌々産業(東京都港区)は、日本の工作機械メーカーの中で最も歴史のある企業の1つだ。前身の碌々商店は牧野フライス製作所を立ち上げた牧野常作氏らを排出したことでも知られ、2代目社長の野田精一氏はヤマザキマザック会長だった山崎照幸氏らが師とも兄とも思って尊敬していたという。こうした逸話は数多く、同社の112年にも及ぶ歴史や関係した産業人を考えると、碌々産業は日本の工作機械史そのものといった会社だ。

   日本の工作機械史などと言ってのけると、漢詩に由来する社名と相まって、まるでセピア色がかった会社のようだが、実態は色鮮やかだ。装置の意匠1つとっても、アイラインを施した人の目をイメージした外観の微細加工機アンドロイドなど遊び心にあふれ、イキイキとした社風が感じ取れる。精一氏は、自らも父で創業者の野田正一氏も進歩的な性格だったと指摘しておりこうした遊び心は創業時から通じる精神のようだ。

   11年に初めて非創業家から経営トップに就任した海藤満社長は、自社の色鮮やかさを「うちはカメレオン」と表現する。
活発な社風を指す色鮮やかさとは別に、生き残りのすべとしてカメレオンのように環境に応じて自らの色を変えてきた。

メーカーに転身

   創業時には米国の工作機械の輸入販売からボール盤を製造販売するメーカーに転身。名機の呼び声を聞くと、フランス製のヒューロン超万能フライス盤の輸入販売に着手し、後に同フライス盤に日本のユーザーの意向を取り入れたロクロクヒューロン超万能フライス盤を開発した。伊フィアットとの鍵と錠前の加工専用機など次々と欧米メーカーの輸入販売代理を手掛けた歴史もある。

   微細加工分野に特化した装置を開発する現在も、こうした変化対応を大事にする姿勢は同じだ。海藤社長は社員に対し、難しいテスト加工ほど仕事を引き受けるように言い聞かせている。製造業であれば当然だが、現在の技術に足を止めず、まだ存在しない課題解決策に向かって前進する姿勢を重視するからだ。かつて、大手電機メーカーから受けたテスト加工が世の中に出る前のDVDの金型向けだったことがあり、当時の先端製品の動向を競合よりも早く把握することができた。

   こうした姿勢は社是のように掲げる「微細加工機のリーディングカンパニーへ」の掛け声からも見てとれる。「リーディングカンパニーとは、まだ他社では実現不可能なことの解決策を提案できる企業を指し、自分たちは2番手でさらに上を目指すという意欲を込めて『へ』とした」(海藤社長)という。

継続に軸足

   一方、不変を貫くのは会社の拡大でなく、継続に軸足を置いた経営だ。同社の売上高は約30億円、従業員数は150人規模とみられ、売上高は”子”の牧野フライス製作所のおよそ50分の1だ。海藤社長いわく、「この規模だからこそ社会の変化に応じてかじを切りやすく、顧客のニーズも見えてくる」。碌々は小石の集まった様をいうことがある。石ゆえの硬さと、柔軟さを併せ持った会社だ。

企業概要

   1903年(明36)6月に東京・銀座に機械工具の輸入販売をする碌々商店として創業。浦賀ドックで機械の買い入れ責任者だった野田正一氏が米国の機械商ホーン商会を経て、28歳のときに起業した。1912年に東京・月島に工場を建設し、1944年には現在の静岡工場(静岡県焼津市)となる相川製作所を稼動させる。65年に国産第1号とされる数値制御(NC)ボール盤を山梨大学、富士通と共同開発した。現在はスマホ向けの加工機販売が好調で増産対応に追われている。